1925年(大正14年)大学令による大学としての認可を受けた本学は、それまでの専門学校令による校名であった「曹洞宗大学」を「駒澤大学」と改め、新たな一歩を踏み出した。文字通り「大学」となった本学にとって急務だったのは、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災により甚大な被害を受けた学内諸施設の再整備であったが、その中心となる念願の新図書館(現耕雲館)の竣工は1928年(昭和3年)を待たなければならなかった。
新図書館の落成式は昭和3年3月7日に行われたことが、本学禅文化歴史博物館大学史資料室による労作、『「図書館誌」にみる駒大図書館史【その5】』(2006年、p22)に記録されているが、落成式当日に配布されたのが初代図書館長高田儀光を編纂代表とする『禅籍目録』(駒澤大学図書館、1928年2月)であった。すなわち、『禅籍目録』は本学初代図書館の竣工に合わせて刊行されたのである。
高田儀光を編纂代表とはするものの、実質的に『禅籍目録』の刊行に大きく関わったのは、のちに第六代図書館長となる、小川霊道(1890-1965)であった。そして、その小川により『禅籍目録』の修訂、追補版として刊行されたのが駒澤大学図書館編『新纂禅籍目録』(駒澤大学図書館、1962年)である。同目録の刊行によって、駒澤大学図書館は1963年(昭和38年)、同年度の私立大学図書館協会賞を受けることになるが、協会賞受賞は図書館ばかりではなく本学全体の栄誉として長く記憶にとどめられるべき事柄であったといえよう。
時代の趨勢を受けて、『禅籍目録』およびその修訂、増補版である『新纂禅籍目録』の電子データ化の計画は早くからあったものの、残念ながら今日まで果たされることはなかった。加えて『新纂禅籍目録』刊行から早くも60年の歳月が流れ、もはや同目録の入手は困難な状況となっている。こうした現状を鑑み、あわせて本学が2016年(平成28年度)私立大学研究ブランディング事業に採択されたことを機会に、その事業の一環として駒澤大学図書館の理解を得て『新纂禅籍目録』を画像掲載するとともに、同目録に拠って作成したデータベースをここに公開する。
また、今回はあらたに敦煌禅宗文献の名称とそれに該当する文書番号を検索するためのデータベースである「敦煌禅宗文献目録」および「禅籍抄物」に関するデータベースの一部も公開したい(詳しくは「凡例」によって見られたい。なお、「敦煌禅宗文献目録」については、現時点で『敦煌禅宗文献分類目録』(大東出版社、2014年)の収録内容を範囲とするが、それ以降の研究成果も随時追加してゆき内容の充実を図る一方、「禅籍抄物」については準備が整い次第、順次追加公開してゆく)。
以上のように、公開を決意はしたものの、当初企図した内容からはいまだほど遠く、不完全なものであることを承知しているが、それでもなお公開することとしたのは、さまざまなご意見を頂戴することによって補正を重ねながら少しでもよりよいものを目指していこうと思ったからにほかならない。忌憚のないご意見をお寄せいただければ幸いである。
データベースの作成・公開にあたっては、深刻な意見の対立もあり、一時は頓挫しかけたのであるが、とにもかくにもなんとかこうして一応の公開までたどり着けたのは、実に多くの方がたの献身的な助力と忍耐があったからにほかならない。あえてここにお名前は記さないが、それらの方がたには心よりの感謝を申し上げたい。
補正を重ねつつ、将来的には駒澤大学図書館に所蔵される禅関係の文献を中心に『新纂禅籍目録』以降に発見、紹介、刊行された文献の追補に努め、内外の関心のある方がたに広く「禅籍」に関する有益な情報を発信できる『禅籍目録 電子版』」にしてゆきたいと念願している。重ねて忌憚のないご意見と惜しみないご支援をお願いするものである。
2021年2月25日
駒澤大学 禅ブランディング事業
「禅の受容と展開研究」チーム
「聖教(禅籍)に関する研究」班
代表 奥野 光賢
追記(2023年4月8日): 京都・建仁寺塔頭両足院様所蔵古典籍目録及びその全頁画像を主な内容とする「禅籍抄物」データベースの公開を行った。従来のデータベースとともに今後も修正を継続する予定である。